坂本龍馬と池田屋事件の関係とは?龍馬は本当に池田屋にいたのか?

 幕末の英雄として今も多くの人に愛される坂本龍馬さん。

そんな龍馬さんですが、池田屋事件との関係がよく話題になりますよね。

「龍馬さんは池田屋事件に参加していたのか」という疑問を持つ方も多いのではないでしょうか。

 そこで今回は、

  • 坂本龍馬さんと池田屋事件の関係
  • 龍馬さんは本当に池田屋にいたのか

について詳しく見ていきましょう。

目次

坂本龍馬と池田屋事件の関係とは?

出典 Wikipedia

 幕末の動乱期に活躍した坂本龍馬さん。

そんな龍馬さんですが、池田屋事件とはどのような関係があるのでしょうか。

坂本龍馬さんと池田屋事件を結びつける重要な人物は、土佐藩脱藩の志士である望月亀弥太さんでした。

 池田屋事件は、1864年7月8日に京都三条木屋町の旅館「池田屋」で起きた事件です。

当時の京都では、長州藩などを中心とする尊王攘夷派の志士たちが活動していました。

 新選組がその動きを厳しく取り締まっており、池田屋に集まっていた志士たちを発見すると、近藤勇さんらが屋内へ突入したのです。

激しい斬り合いとなり、多くの志士が死傷・捕縛されました。

望月亀弥太さんは坂本龍馬さんと同じ土佐出身の志士で、龍馬さんと関係の深い人物でした。

池田屋事件当夜、望月さんも池田屋周辺で新選組と戦い、負傷しながら脱出しました。

しかし、その後追手に迫られ、自刃したとされています。

 つまり、龍馬さん自身は池田屋事件に参加していませんが、龍馬さんと関係の深い土佐勤王の志士たちが事件に巻き込まれたという関係になります。

龍馬は本当に池田屋にいたのか?

出典 黒丸の人生ログ

 薩長同盟の立役者として知られる坂本龍馬さん。

そんな龍馬さんですが、本当に池田屋事件の現場にいたのでしょうか。

結論からいうと、坂本龍馬さんは池田屋事件の現場にはいませんでした。

 池田屋事件が起きた1864年、龍馬さんは勝海舟さんのもとで海軍について学び、神戸海軍操練所などを中心に活動していました。

そのため、「坂本龍馬さんが池田屋で新選組と戦った」というイメージは誤りです。

坂本龍馬さんについて調べる際、特に注意したいのが池田屋事件と寺田屋事件の混同です。

龍馬さん自身が襲撃されたのは「池田屋」ではなく「寺田屋」なのです。

1866年の寺田屋事件では、龍馬さんが伏見奉行所の捕吏に襲われ、負傷しながらも逃走しました。

このとき、お龍さんが異変を察知して龍馬さんに危険を知らせたという逸話も有名ですね。

 池田屋事件そのものに龍馬さんが参加していなかったとしても、事件は龍馬さんが生きた幕末の政治情勢を大きく動かしました。

池田屋事件の後、長州藩は激しく反発し、京都で禁門の変へと発展します。

その結果、長州藩と幕府・朝廷側の対立はさらに深まり、幕末の政治情勢は大きく動いていきました。

 そして、その後の坂本龍馬さんは薩摩藩と長州藩の関係改善を進め、1866年の薩長同盟成立に大きな役割を果たすことになります。

まとめ

 坂本龍馬さんと池田屋事件の関係は、龍馬さんと関係の深い土佐藩脱藩志士の望月亀弥太さんが事件に参加していたという関係でした。

龍馬さん本人は池田屋事件の現場にはいませんでした。

龍馬さん本人が襲撃されたのは1866年の寺田屋事件でした。

 これからも坂本龍馬さんのご活躍を応援していきましょう。

 それではありがとうございました。

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