高峰譲吉とは?タカジアスターゼとアドレナリンを生んだ世界的化学者の生涯!

 日本を代表する化学者として世界的に活躍した高峰譲吉さん。

そんな高峰譲吉さんですが、一体どのような人物だったのでしょうか。

 そこで今回は、

  • 高峰譲吉さんとはどのような人物なのか
  • タカジアスターゼとアドレナリンを生んだ世界的化学者の生涯

について詳しく見ていきましょう。

目次

高峰譲吉とは?

出典 Wikipedia

 近代バイオテクノロジーの先駆者として評価されている高峰譲吉さん。

そんな高峰譲吉さんですが、一体どのような人物だったのでしょうか。

高峰譲吉さんは、1854年から1922年にかけて活躍した日本を代表する化学者・実業家でした。

 高峰譲吉さんは1854年、現在の富山県高岡市に生まれ、金沢で育ちました。

幼いころから医学や化学に関心を持ち、長崎や京都、大阪などで学んだ後、工部大学校で応用化学を学びました。

工部大学校は現在の東京大学工学部にあたる学校です。

その後イギリスへ留学し、最先端の化学工業を学びます。

帰国後は農商務省に入り、日本の産業に化学技術を取り入れる研究に取り組みました。

 高峰譲吉さんを理解するポイントは、単なる「化学者」ではないということです。

 日本の伝統技術を科学的に分析する力、欧米の最新技術を学ぶ力、研究成果を商品化する力、そして国際交流を進める力を持っていました。

 そのため現在では、近代バイオテクノロジーの先駆者として評価されています。

タカジアスターゼとアドレナリンを生んだ世界的化学者の生涯!

出典 和楽web

 研究成果を実際の商品や産業へ結びつけることを重視していた高峰譲吉さん。

そんな高峰譲吉さんですが、どのような功績を残したのでしょうか。

高峰譲吉さんの代表的な功績は、消化酵素「タカジアスターゼ」の開発とホルモン「アドレナリン」の結晶化でした。

 日本の伝統的な発酵技術である「麹」に注目した高峰譲吉さんは、麹菌が持つ強力な消化酵素に着目しました。

そして1890年代、麹菌からデンプンを分解する酵素を取り出し、消化薬として利用できる形にすることに成功します。

 1894年には製法特許をアメリカで出願し、翌年にはパーク・デイヴィス社から「TAKA-DIASTASE」の名称で商品化されました。

これは、日本の伝統的な麹の技術と近代化学を結びつけた画期的な研究でした。

 もう一つの大きな功績が、アドレナリンの抽出・結晶化です。

 高峰譲吉さんは1900年、助手の上中啓三さんとともに、牛の副腎からアドレナリンを純粋な結晶として取り出すことに成功しました。

アドレナリンは心臓の働きを強めたり、血圧を上昇させたり、気管支を拡張させたりする作用を持つ物質です。

この研究は、その後の内分泌学や薬理学、救急医療などの発展にもつながりました。

 高峰譲吉さんの特徴は、研究だけで終わらなかったことです。

自分の研究成果を実際の商品や産業へ結びつけることを重視していました。

日本初期の人造肥料産業の発展にも関わり、後には三共株式会社の初代社長を務めています。

 さらに、日本の科学研究を発展させるため、国民的な化学研究所の設立を提唱し、後の理化学研究所につながる動きにも尽力しました。

 高峰譲吉さんは科学者としてだけでなく、日米交流においても重要な役割を果たしました。

アメリカで長く活動した経験を生かし、日本とアメリカの友好関係を深めるために活動しました。

特に有名なのが、ワシントンD.C.の桜に関する活動です。

高峰譲吉さんは日本からアメリカへ桜を贈る計画を支援し、日米親善の象徴となる桜の植樹にも関わりました。

 1922年7月22日、高峰譲吉さんはニューヨークで亡くなりました。

 67歳でした。

まとめ

 高峰譲吉さんは、1854年から1922年にかけて活躍した日本を代表する化学者・実業家でした。

高峰譲吉さんの代表的な功績は、消化酵素「タカジアスターゼ」の開発とホルモン「アドレナリン」の結晶化でした。

 これからも高峰譲吉さんの功績を語り継いでいきましょう。

 それではありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次