志賀潔とは?赤痢菌を発見した細菌学者の生涯と功績!

 明治から昭和にかけて日本の細菌学を世界水準へと押し上げた志賀潔さん。

そんな志賀潔さんですが、どのような人物で、どんな功績を残したのでしょうか。

 赤痢菌の発見で世界的に知られ、現在も細菌の属名「Shigella(シゲラ)」にその名が残る志賀潔さんについて、気になりますよね。

 そこで今回は、

  • 志賀潔とは何者なのか
  • 赤痢菌を発見した細菌学者の生涯と功績

について詳しく見ていきましょう。

目次

志賀潔とは?

出典 Wikipedia

 日本を代表する細菌学者として名を残した志賀潔さん。

そんな志賀潔さんですが、一体どのような人物だったのでしょうか。

志賀潔さんは、1871年(明治3年)2月7日に宮城県で生まれた、明治から昭和にかけて活躍した日本を代表する細菌学者でした。

 旧姓は佐藤で、幼名は直吉といいます。

 1896年に帝国大学医科大学、現在の東京大学医学部を卒業すると、北里柴三郎さんが所長を務めていた伝染病研究所に入りました。

ここで北里柴三郎さんの指導を受け、細菌学と免疫学の研究に取り組むことになります。

志賀潔さんの最大の業績は、1897年から1898年にかけて赤痢の病原菌を発見したことです。

この細菌は後に、志賀さんの名前にちなんでShigella(シゲラ)と命名されました。

 現在の医学でも使われている名称であり、志賀潔さんの名前が世界の細菌学に残ることになったのです。

赤痢菌を発見した細菌学者の生涯と功績!

出典 日本経済新聞

 世界的な発見をした志賀潔さん。

そんな志賀潔さんですが、赤痢菌の発見以外にどのような生涯を送り、どんな功績を残したのでしょうか。

志賀潔さんは赤痢菌を発見しただけでなく、ドイツ留学で化学療法を研究し、日本の医学教育にも大きく貢献した細菌学者でした。

 当時、赤痢は激しい下痢や発熱を引き起こし、多くの人々を苦しめていました。

志賀さんは赤痢患者から病原となる細菌を分離し、その研究成果を発表しました。

この功績によって志賀潔さんは、日本の細菌学を世界水準へ押し上げた研究者の一人として評価されています。

 志賀潔さんは1901年にドイツへ留学し、当時世界的な研究者だったパウル・エールリヒさんのもとで研究しました。

そこで免疫学や生化学、化学療法について学び、トリパンロートという色素の研究にも取り組みました。

この研究は、感染症を化学物質によって治療する「化学療法」の初期の研究として位置づけられています。

 志賀潔さんの研究人生を語るうえで、北里柴三郎さんの存在は欠かせません。

1914年に北里柴三郎さんが北里研究所を創立すると、志賀潔さんもその活動に参加しました。

北里研究所は、日本の近代細菌学を発展させる重要な研究拠点となりました。

 帰国後の志賀潔さんは、赤痢だけでなく、チフス、結核、ハンセン病などの感染症についても研究を続けました。

また、慶應義塾大学医学部教授、京城帝国大学総長などを歴任し、日本の医学教育にも力を尽くしました。

1944年には、その医学・科学上の功績が認められ、文化勲章を受章しています。

 志賀潔さんは、「赤痢菌を発見した医学者」というだけではなく、日本の細菌学を世界へ押し上げた先駆者といえるでしょう。

 そして、現在でも「Shigella」という学名を見るたびに、志賀潔さんの名前が世界の医学史に刻まれていることが分かります。

まとめ

 志賀潔さんは、1871年に宮城県で生まれた日本を代表する細菌学者でした。

志賀潔さんは赤痢菌を発見し、その名前は現在も細菌の属名「Shigella(シゲラ)」として世界中で使われています。

 また、ドイツ留学で化学療法を研究し、帰国後は慶應義塾大学医学部教授や京城帝国大学総長を歴任するなど、日本の医学教育にも大きく貢献しました。

1944年には文化勲章を受章し、日本の細菌学を世界水準へ押し上げた先駆者として評価されています。

 これからも志賀潔さんのご功績を語り継いでいきましょう。

 それではありがとうございました。

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