江戸時代から明治時代にかけて数々の発明を生み出し、日本の近代工業化に大きく貢献した田中久重さん。
「からくり儀右衛門」の異名で知られ、精巧なからくり人形や時計を製作し、現在の東芝の源流を築いた偉大な発明家です。
そんな田中久重さんですが、具体的にどのような功績を残したのか、気になりますよね。
そこで今回は、
- 田中久重とは何をした人なのか
- からくり儀右衛門の生涯と発明
- 東芝との関係
について詳しく見ていきましょう。
田中久重とは何をした人?

日本を代表する発明家として知られる田中久重さん。
そんな田中久重さんですが、一体どのような人物で何をした人なのでしょうか。
田中久重さんは、1799年に筑後国久留米(現在の福岡県久留米市)に生まれ、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した発明家・機械技術者でした。
べっ甲細工師の家に生まれた田中久重さんは、幼い頃から工作や機械いじりが大好きでした。
9歳頃には、簡単には開かない「開かずの硯箱」を作り、周囲を驚かせたと伝えられています。
その後も祭礼で披露するからくり人形を改良し、人々から「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになりました。
田中久重さんの代表的な発明には、弓を持った人形が自ら矢をつがえて的に向かって矢を放つ「弓曳童子」があります。
また、1851年に完成した「万年自鳴鐘」は、和時計・洋時計・暦・曜日・二十四節気などを一台で表示でき、約一年間ゼンマイを巻き直さず動く驚異的な精密機械でした。
さらに、油を効率よく供給する仕組みにより長時間明るく燃え続ける「無尽灯」も発明しています。
1850年代になると、田中久重さんは佐賀藩に招かれ、蒸気機関や蒸気船、大砲、蒸気機関車模型などの開発に携わり、日本の近代工業化に大きく貢献しました。
からくり儀右衛門の生涯と発明・東芝との関係を徹底解説!

「東洋のエジソン」とも称される田中久重さん。
そんな田中久重さんですが、からくり儀右衛門としての生涯や東芝との関係はどのようなものだったのでしょうか。
田中久重さんは、1875年に76歳で東京・銀座に田中製造所を創業し、これが現在の東芝の源流となりました。
田中製造所では、電信機やモールス通信機、電気機械、各種精密機器などを製造し、日本初の本格的な民間機械工場として発展しました。
その後、田中製造所は芝浦製作所、東京芝浦電気を経て、現在の東芝へと受け継がれています。
田中久重さんは、生涯を通じて多くの独創的な発明を生み出し、娯楽用のからくり人形から産業機械、通信機器まで幅広い分野で活躍しました。
単なる発明家ではなく、実際に製品化・事業化まで成し遂げた点が高く評価され、「東洋のエジソン」とも称されています。
江戸最高峰のからくり人形を製作し、日本最高傑作といわれる万年自鳴鐘を完成させ、蒸気機関や西洋機械技術の導入に貢献した田中久重さん。
その技術と挑戦の精神は、現在の日本の精密機械産業や電機産業へと受け継がれています。
まとめ
田中久重さんは、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した発明家・機械技術者でした。
「からくり儀右衛門」の異名で知られ、精巧なからくり人形や万年自鳴鐘などを製作しました。
また、1875年に田中製造所を創業し、これが現在の東芝の源流となっています。
これからも田中久重さんの功績を語り継いでいきましょう。
それではありがとうございました。

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