日本の航空史に名を刻む天才発明家の二宮忠八さん。
そんな二宮忠八さんですが、ライト兄弟よりも早く飛行機の原理を発想していたことをご存知でしょうか。
1891年に模型飛行器の飛行実験に成功し、「日本の飛行機の父」とも呼ばれる二宮忠八さんの功績は、近年改めて注目を集めています。
そこで今回は、
- 二宮忠八さんの功績
- ライト兄弟より早く飛行機を発想した経緯
について詳しく見ていきましょう。
二宮忠八の功績を解説!

日本航空史の先駆者として知られる二宮忠八さん。
そんな二宮忠八さんですが、具体的にどのような功績を残されたのでしょうか。
二宮忠八さんの功績は、日本で初めて動力付き固定翼模型飛行器の飛行実験に成功したことです。
1891年に完成させた烏型模型飛行器は、ゴムを動力源とするプロペラ式で固定翼を採用し、約10メートルの飛行に成功しました。
これはライト兄弟の初飛行より12年も前の出来事でした。
さらに二宮忠八さんは、人が乗ることを想定した玉虫型飛行器も設計されています。
複葉機に近い構造で当時としては非常に独創的な設計でしたが、開発資金不足や軍からの支援が得られなかったことから完成には至りませんでした。
また、1915年には京都府八幡市に飛行神社を創建し、航空事故で亡くなった人々の慰霊と航空安全を祈願されました。
現在でも航空関係者やパイロットが参拝する、日本でも珍しい航空専門の神社として知られています。
近年では日本航空宇宙学会が二宮忠八さんの研究を日本の航空宇宙技術遺産の第一号として位置づけるなど、その先見性が改めて高く評価されています。
ライト兄弟より早く飛行機を発想した天才発明家!

独学で物理学や機械技術を学んだ二宮忠八さん。
そんな二宮忠八さんですが、どのようにしてライト兄弟より早く飛行機の原理を発想されたのでしょうか。
二宮忠八さんは1889年、陸軍歩兵第12連隊に所属していた際、演習中にカラスが羽ばたかずに滑空する様子を観察したことから飛行機の原理を発想されました。
この経験から、翼は固定されていても揚力を生み出せること、プロペラで前進すれば飛べるという現代の固定翼機につながる考えに到達されました。
これは当時としては非常に先進的な発想でした。
二宮忠八さんは1866年に愛媛県八幡浜市で生まれ、幼い頃に父を亡くされています。
家計を支えるため働きながら独学で物理学や機械技術を学ばれ、探究心が強く、自作の凧を販売して学費を工面したとも伝えられています。
1903年にライト兄弟が有人動力飛行に成功したという知らせを聞いた二宮忠八さんは、大きな衝撃を受けられました。
「自分より先に成功された」と感じ、製作中だった飛行器を自ら壊し、航空機研究から身を引かれたと伝えられています。
その後は製薬会社を経営し実業家として成功されました。
まとめ
二宮忠八さんの功績は、日本で初めて動力付き固定翼模型飛行器の飛行実験に成功したことでした。
ライト兄弟より早く飛行機を発想した経緯は、1889年にカラスの滑空を観察したことがきっかけでした。
二宮忠八さんは「日本の航空技術の先駆者」として、日本の科学技術史に欠かせない人物です。
これからも二宮忠八さんの功績を語り継いでいきましょう。
それではありがとうございました。

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