日本の産業技術史に名を刻む偉大な発明家、岡村金蔵さん。
そんな岡村金蔵さんですが、一体どのような人物で、なぜ十大発明家に選ばれたのでしょうか。
そこで今回は、
- 岡村金蔵とは誰なのか
- 十大発明家に選ばれた油母頁岩乾溜法とは
について詳しく見ていきましょう。
岡村金蔵とは誰?

明治から昭和初期にかけて日本の産業技術発展に貢献した岡村金蔵さん。
そんな岡村金蔵さんですが、一体どのような経歴を持つ人物なのでしょうか。
岡村金蔵さんは、1881年生まれの電気工学出身の技術者で、南満洲鉄道の撫順炭砿において頁岩油の工業化に大きく貢献した人物でした。
岡村金蔵さんは1906年に京都帝国大学電気工学科を卒業しています。
1913年に南満洲鉄道、いわゆる満鉄に入社し、撫順炭砿の機械部門などで技術者として活動しました。
当時の撫順は石炭の産地として知られていましたが、そこには油母頁岩という資源も大量に存在していました。
油母頁岩とは、内部に有機物を含んだ岩石で、これを高温で加熱すると油分を取り出すことができます。
石油資源が乏しかった日本にとって、油母頁岩から人工的に石油に近い燃料をつくる技術は、非常に重要な意味を持っていました。
興味深いのは、電気工学を学んだ岡村金蔵さんが、満鉄入社後に化学工業や鉱業分野の技術開発に取り組んでいった点です。
近代日本では、専門分野を越えて国家的な産業技術の課題に取り組む技術者が少なくありませんでした。
岡村金蔵さんもその一人だったと考えられます。
十大発明家に選ばれた油母頁岩乾溜法の技術者!

石油資源の乏しい日本で画期的な技術開発に挑んだ岡村金蔵さん。
そんな岡村金蔵さんですが、どのような功績で十大発明家に選ばれたのでしょうか。
岡村金蔵さんは、1939年に政府が顕彰した「日本の十大発明家」の一人に選ばれ、その功績として「油母頁岩乾溜法」が認められました。
岡村金蔵さんが取り組んだのが、油母頁岩を乾溜して油を取り出す技術の工業化でした。
1922年には満鉄の「低温乾溜研究委員会」が設けられ、岡村金蔵さんも委員として参加しています。
この委員会では、石炭や頁岩を低温で乾溜し、石油に似たタールなどを得る研究が進められました。
1924年には岡村金蔵さんが欧米へ派遣され、イギリスなどの油母頁岩工場を視察しました。
岡村金蔵さんは海外の方式をそのまま導入するのではなく、設備費や熱効率などを詳しく比較しました。
そして、外から加熱する「外熱式」よりも、炉の内部で燃焼ガスなどを利用して加熱する「内熱式」の方が有利だと判断します。
この判断が、後の「撫順式頁岩乾溜法」につながっていきます。
撫順式頁岩乾溜法とは、油母頁岩を乾溜炉に入れて加熱し、そこから発生する油蒸気などを回収する方法です。
さらに撫順では、モンドガス方式など、それまで培われてきたガス製造技術も組み合わせることで、設備の国産化やコスト低減が図られました。
岡村金蔵さんは海外技術の調査だけでなく、撫順で実際に工業化するための技術的判断にも深く関わった人物だったわけです。
1939年の十大発明家に選ばれたのは、三島徳七さん、大河内正敏さん、岡村金蔵さん、梅根常三郎さん、棚橋寅五郎さん、安藤博さん、浅尾荘一郎さん、古賀逸策さん、岡部金治郎さん、朝比奈泰彦さんという10人でした。
これは、岡村金蔵さんが単なる企業技術者ではなく、日本の産業技術史に残る発明家として政府から評価されたことを意味します。
まとめ
岡村金蔵さんは、明治から昭和初期に活躍した電気工学出身の技術者でした。
南満洲鉄道の撫順炭砿において頁岩油の工業化に大きく貢献し、1939年に日本の十大発明家の一人に選ばれました。
その功績として認められたのが「油母頁岩乾溜法」でした。
岡村金蔵さんは、石油資源の乏しい日本で、別の資源から液体燃料を生み出そうとした昭和初期を代表する技術者といえるでしょう。
これからも岡村金蔵さんのご功績を語り継いでいきましょう。
それではありがとうございました。

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