日本の航空史に大きな足跡を残した発明家である二宮忠八さん。
そんな二宮忠八さんですが、ライト兄弟より先に飛行機を研究していたというのは本当なのでしょうか。
そこで今回は、
- 二宮忠八さんとはどんな人物なのか
- ライト兄弟より先に飛行機を研究した経緯
について詳しく見ていきましょう。
二宮忠八とは?

日本の航空機開発の先駆者として知られる二宮忠八さん。
そんな二宮忠八さんですが、一体どのような人物だったのでしょうか。
二宮忠八さんは1866年に愛媛県八幡浜市で生まれ、1936年に69歳で亡くなった航空機研究者・発明家でした。
二宮忠八さんは幼いころから好奇心が強く、貧しい生活の中でも仕事をしながら科学や物理学を独学で学んでいました。
1887年には陸軍に入り、看護卒として勤務していました。
そして1889年、演習の帰りに香川県の樅の木峠でカラスの群れを見たことが、飛行機研究の大きな転機となりました。
カラスがほとんど羽ばたかずに滑空する姿を観察し、「鳥のように羽ばたかなくても、翼とプロペラを使えば空を飛べるのではないか」と考えたのです。
晩年の二宮忠八さんは、航空事故などで亡くなった人々を慰霊するため、1915年に京都府八幡町に飛行神社を建立しました。
単に「飛行機を発明しようとした人」ではなく、航空の発展とともに生じる犠牲者を慰霊することにも生涯を捧げた人物だったのです。
ライト兄弟より先に飛行機を研究した日本の発明家!

日本の航空史に名を残す二宮忠八さん。
そんな二宮忠八さんですが、本当にライト兄弟より先に飛行機を研究していたのでしょうか。
二宮忠八さんは1891年に烏型模型飛行器の飛行に成功し、ライト兄弟の有人動力飛行(1903年)より12年も前に動力飛行の研究を進めていました。
研究を進めた二宮忠八さんは、ゴムを動力とする模型飛行器を製作しました。
これが「烏型模型飛行器」です。
船のスクリューからヒントを得たプロペラと3個の車輪を備え、ゴムの力でプロペラを回転させる仕組みでした。
1891年4月29日、香川県丸亀の練兵場で飛行実験を行いました。
最初の実験では、約3メートルを滑走した後、約10メートル飛行することに成功しました。
模型の飛行に成功した二宮忠八さんは、次に人間が乗れる飛行器の開発を目指しました。
1893年には、「玉虫型飛行器」の模型を完成させました。
これは複葉式の機体で、人間を乗せて飛ぶことを想定した先進的な設計でした。
また、二宮忠八さんは日清戦争に従軍した際、飛行機が軍事的にも大きな可能性を持つことを強く感じました。
そこで軍に対して、飛行器の開発を進めるよう何度も上申しました。
しかし、当時はまだ飛行機そのものが実用化されていなかったこともあり、提案は受け入れられませんでした。
二宮忠八さんにとって大きな転機となったのが、1903年のライト兄弟による有人動力飛行の成功でした。
自分が長年研究してきた飛行機を、先に実現した人々が現れたことを知り、二宮忠八さんは飛行機研究から身を引くことになりました。
ただし、二宮忠八さんの研究が無意味だったわけではありません。
後世になって、その先進性が評価されるようになりました。
まとめ
二宮忠八さんは1866年に愛媛県八幡浜市で生まれた航空機研究者・発明家でした。
二宮忠八さんは1891年に烏型模型飛行器の飛行に成功し、ライト兄弟より12年も前に動力飛行の研究を進めていました。
これからも二宮忠八さんの功績を語り継いでいきましょう。
それではありがとうございました。

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