日本の無線通信技術の発展に大きく貢献した丸毛登さん。
そんな丸毛登さんですが、一体どのような人物で、どんな功績を残したのでしょうか。
明治から昭和にかけて活躍した丸毛登さんは、鳥潟右一さんらとともに無線電話の実用化に取り組んだ通信技術者です。
そこで今回は、
- 丸毛登さんは何者なのか
- 鳥潟右一さんらと無線電話を研究した通信技術者の功績
について詳しく見ていきましょう。
丸毛登は何者?

日本の通信技術の黎明期を支えた丸毛登さん。
そんな丸毛登さんですが、一体どのような人物だったのでしょうか。
丸毛登さんは、1888年に生まれ1969年に亡くなった、明治から昭和にかけて活躍した日本の通信技術者・工学者でした。
丸毛登さんは東京物理学校を卒業後、逓信省電気試験所で通信技術の研究に携わりました。
当時は電話といえば有線電話が中心で、無線通信はまだ発展途上の段階でした。
そんな中、丸毛登さんは鳥潟右一さん、横山英太郎さん、北村政治郎さんらとともに、無線電話の実用化に取り組んだのです。
丸毛登さんを語るうえで重要なのが、TYK式無線電話です。
TYKは、鳥潟右一さん、横山英太郎さん、北村政治郎さんの頭文字から名付けられたもので、丸毛登さん自身もこの研究グループの重要なメンバーとして無線電話の実用化を支えました。
TYK式無線電話は、世界初の実用的な無線電話機とされる重要な技術でした。
また、丸毛登さんは後に逓信省電気試験所の平磯出張所の第2代所長を務めました。
平磯出張所は、現在の茨城県ひたちなか市にあった無線通信研究の重要拠点です。
丸毛登さんが所長を務めていた時期には、1924年にアメリカ・カリフォルニア州のラジオ放送局KGOの受信に成功しました。
これは、日米間で初めて無線電話による音声を受信した重要な出来事とされています。
平磯出張所長を退任した後も、丸毛登さんは通信・放送分野で活躍を続けました。
大阪放送局の技師長、日本放送協会放送技術研究所第2部長、日本ビクターの技師長などを歴任しています。
この経歴を見ると、丸毛登さんは黎明期の無線通信からラジオ放送、さらに音響技術へと活動範囲を広げていった技術者だったことが分かります。
鳥潟右一らと無線電話を研究した通信技術者の功績!

日本の無線通信技術の発展に尽力した丸毛登さん。
そんな丸毛登さんですが、鳥潟右一さんらと無線電話を研究した通信技術者としてどのような功績を残したのでしょうか。
丸毛登さんの最大の功績は、日本の無線通信が実験段階から実用段階へ進んでいく過程を支えたことでした。
丸毛登さんは、北村政治郎さんとも研究を行っています。
北村政治郎さんの解説によると、丸毛登さんの協力のもとで、高周波式有線多重電信電話装置、有線・無線両電話接続装置、送電線を利用した高周波通信方式などが開発されました。
つまり丸毛登さんは、単に無線電話を研究しただけではなく、有線通信と無線通信を結びつける技術の発展にも関わった人物だったといえます。
そして、丸毛登さんの功績は無線電話だけではありません。
1930年代には、星佶兵衛さんとともにライツ型マイクロホンの国産化にも取り組みました。
1930年には、炭素粒の製法について特許を取得し、ライツマイクロホンの自作に成功しています。
さらに、丸毛登さんと星さんは1932年ごろにNHK技術研究所でライツマイクロホンの開発を進めました。
これは当時の日本のラジオ放送の音質向上にとって重要な技術でした。
丸毛登さんは研究者・技術者として活動するだけでなく、著作も残しています。
1934年には『放送無線電話』という専門書を出版しています。
この本は当時の無線工学を学ぶための専門書の一つで、現在も大学図書館などで所蔵が確認できます。
その中で、丸毛登さんが、鳥潟右一さん、横山英太郎さん、北村政治郎さんらとともに無線電話の研究を進め、その後は平磯無線の発展、日米間の無線電話受信、ラジオ放送技術、マイクロホン技術など幅広い分野で活躍をされたことが、書かれています。
特に、「無線電話の実用化」から「日米間通信」、「ラジオ放送」、「マイクロホン」という流れで見ると、丸毛登さんが日本の通信・放送技術の発展に果たした役割がよく分かります。
まとめ
丸毛登さんは、1888年に生まれ1969年に亡くなった、明治から昭和にかけて活躍した日本の通信技術者・工学者でした。
鳥潟右一さんらと無線電話を研究した通信技術者としての功績は、日本の無線通信が実験段階から実用段階へ進んでいく過程を支えたことでした。
これからも丸毛登さんのご功績を忘れずに、日本の通信技術の発展を見守っていきましょう。
それではありがとうございました。

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