日本の磁石技術を世界レベルに引き上げた偉大な科学者、三島徳七さん。
そんな三島徳七さんですが、一体何をした人で、どのような功績を残したのでしょうか。
三島徳七さんは、強力な永久磁石「MK鋼」を発明し、現代の電気機器産業の基礎を築いた金属工学者です。
その発明は、世界中の工業技術に大きな影響を与えました。
そこで今回は、
- 三島徳七さんとは何をした人なのか
- MK鋼を発明した日本の磁石技術の先駆者、その生涯と功績
について詳しく見ていきましょう。
三島徳七とは何をした人?

日本の工業技術の発展に大きく貢献した三島徳七さん。
そんな三島徳七さんですが、具体的に何をした人なのでしょうか。
三島徳七さんは、強力な永久磁石「MK鋼」を発明した日本を代表する金属工学者・冶金学者でした。
三島徳七さんは1893年、兵庫県淡路島に生まれました。
生家の姓は「喜住」で、のちに三島家の養子となりました。
1920年、東京帝国大学工学部冶金学科を卒業すると、そのまま大学に残って金属学の研究を続けます。
1921年には助教授となり、1938年には東京帝国大学教授に就任しました。
三島徳七さんの名前を世界的に知らしめたのが、MK鋼(MK磁石鋼)です。
当時、永久磁石には磁力や安定性などの面で限界がありました。
三島徳七さんはニッケル鋼の性質を研究する中で、ニッケルを含む鋼にアルミニウムを加えると、強い磁性を持つ合金になることを発見しました。
1931年ごろに開発されたこの磁石鋼は、従来の磁石に比べて強力で、しかも温度変化や経年変化に対して比較的安定していました。
さらに研究を進め、コバルトや銅などを加えることで性能を改良し、MK磁石鋼として実用化されました。
「MK」という名前にも三島徳七さんの人生が反映されています。
Mは養家の「三島」、Kは生家の「喜住」の頭文字です。
つまりMK鋼という名称そのものが、三島徳七さんの二つの家に由来しているわけです。
MK鋼を発明した日本の磁石技術の先駆者、その生涯と功績!

世界の工業技術に革命をもたらした三島徳七さん。
そんな三島徳七さんですが、MK鋼の発明以外にどのような功績を残したのでしょうか。
三島徳七さんは、MK鋼の発明だけでなく、アルニコ磁石の原型を作り、金属工学の幅広い分野で研究・指導を行い、数々の栄誉を受けた偉大な科学者でした。
MK鋼の重要性は、単に一種類の磁石を発明したことだけではありません。
MK鋼は、その後発展するアルニコ磁石の原型となりました。
アルニコ磁石は、アルミニウム、ニッケル、コバルトなどを利用した永久磁石で、電気機器、計測器、スピーカーなど、さまざまな分野で利用されました。
特許庁も、MK鋼について「世界的規模の工業生産」に発展した発明であり、電子機器や通信機、航空機、自動車、計測器、制御装置などの発展に貢献したと紹介しています。
三島徳七さんは磁石だけを研究していたわけではありません。
ニッケルやアルミニウムなどの合金研究、鋳造技術、精密鋳造など、金属工学の幅広い分野で研究・指導を行いました。
また、戦時中にはMT鋼と呼ばれる別の永久磁石鋼も開発しています。
戦後も磁性材料や精密鋳造技術の発展に尽力し、学界と産業界の橋渡し役を務めました。
三島徳七さんの業績は国内外で高く評価されました。
1945年には帝国学士院恩賜賞を受賞し、1949年には日本学士院会員となりました。
1950年には文化勲章を受章し、翌1951年には文化功労者に選ばれています。
さらにアメリカ金属学会やイタリア金属学会からも表彰され、1967年には本多記念賞も受賞しました。
特に重要なのは、鉄やニッケルなどの材料の組み合わせを工夫することで、従来にはない強力な永久磁石を作り出したことです。
その発明は、単なる一つの新素材の誕生にとどまらず、電気・通信・計測・自動車など、20世紀の工業技術の発展を支える重要な材料技術へとつながりました。
1975年11月19日、82歳で亡くなりました。
「日本の磁石王」ともいえる三島徳七さんは、目立たない「材料」の革新によって、その後の日本の工業化を支えた偉大な科学者・発明家の一人です。
まとめ
三島徳七さんは、強力な永久磁石「MK鋼」を発明した日本を代表する金属工学者・冶金学者でした。
MK鋼は、アルニコ磁石の原型となり、世界中の電気機器産業の発展に大きく貢献しました。
三島徳七さんは、磁石だけでなく、金属工学の幅広い分野で研究・指導を行い、数々の栄誉を受けました。
これからも三島徳七さんのご功績を語り継いでいきましょう。
それではありがとうございました。

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