日本の近代化に大きく貢献した財政学者である田尻稲次郎さん。
そんな田尻稲次郎さんですが、具体的にどのような功績を残した人物なのでしょうか。
専修大学の創立者の一人としても知られていますが、他にもさまざまな分野で活躍されたようですね。
そこで今回は、
- 田尻稲次郎さんとは何をした人なのか
- 専修大学を創立した財政学者の生涯と功績
について詳しく見ていきましょう。
田尻稲次郎とは何をした人?

明治時代から大正時代にかけて活躍した田尻稲次郎さん。
そんな田尻稲次郎さんですが、一体どのようなことをした人物なのでしょうか。
田尻稲次郎さんは、日本の近代的な財政学・金融制度の発展に大きく貢献した学者・官僚でした。
1850年に京都の薩摩藩邸で薩摩藩士の家に生まれた田尻稲次郎さんは、若いころから洋学を学んでいました。
慶應義塾や大学南校などで英語・法律を学んだ後、1871年にアメリカへ留学されています。
イェール大学で経済学・財政学を学び、さらに大学院でも研究を続けられました。
当時の日本では、近代国家をつくるために西洋の政治・法律・経済制度を学ぶことが重要でした。
田尻稲次郎さんはその中でも特に財政学を専門とし、帰国後の日本の財政制度づくりにその知識を生かされたのです。
帰国後は大蔵省に入り、国債局長、銀行局長、主税局長、大蔵次官などの要職を歴任されました。
また、1888年には日本で初めて博士号が授与された際に法学博士となり、学者としても高く評価されています。
さらに、1880年には相馬永胤さん、駒井重格さん、目賀田種太郎さんらとともに専修学校を創立されました。
この学校が現在の専修大学へと発展していきます。
晩年の1918年には67歳で東京市長に就任し、築港、上下水道、衛生事業など、東京の近代的な都市づくりにも取り組まれました。
このように田尻稲次郎さんは、学者、官僚、教育者、都市行政者として多方面で活躍された人物だったのです。
専修大学を創立した財政学者の生涯と功績!

多彩な才能を発揮された田尻稲次郎さん。
そんな田尻稲次郎さんですが、財政学者としての生涯と功績はどのようなものだったのでしょうか。
田尻稲次郎さんは、西洋の経済・財政学を学び、それを日本の教育と行政の両方に生かした人物でした。
田尻稲次郎さんの重要な功績の一つが、専修学校の創立です。
1880年に創立された専修学校で、田尻稲次郎さんは経済学・財政学を教え、後進の育成にも力を注がれました。
専修大学は現在も田尻稲次郎さんを創立者の一人として位置づけています。
大蔵省では、近代的な財政・金融制度の確立に尽力されました。
単なる研究者ではなく、財政学の知識を実際の行政に生かした人物だったことが、田尻稲次郎さんの大きな特徴です。
また、東京大学などで経済学・財政学を教え、財政学や経済学を日本に根づかせた先駆者の一人といえます。
会計検査院長も務められ、財政学・金融論に関する著作も残されました。
そして、東京市長としては、東京の近代的な都市づくりに取り組まれています。
このように田尻稲次郎さんは、専修大学の創立者としての顔と、近代日本の財政制度を支えた官僚としての顔の二つを持っていた人物だったのです。
1923年に73歳で亡くなられるまで、日本の近代化に貢献し続けられました。
まとめ
今回は田尻稲次郎さんについてお伝えしました。
田尻稲次郎さんは、日本の近代的な財政学・金融制度の発展に大きく貢献した学者・官僚でした。
専修大学の創立者の一人として教育にも力を注ぎ、大蔵省では要職を歴任されました。
日本初期の法学博士の一人となり、晩年には東京市長として都市整備にも尽力されています。
西洋の経済・財政学を学び、それを日本の教育と行政の両方に生かした田尻稲次郎さんの功績は、現代にも受け継がれていますね。
これからも田尻稲次郎さんのご功績を語り継いでいきましょう。
それではありがとうございました。

コメント