日本の無線通信技術の発展に大きく貢献した横山英太郎さん。
そんな横山英太郎さんですが、どのような人物で、どんな功績を残したのか気になりますよね。
日本初期の無線電話を開発した技術者として知られる横山英太郎さんについて、詳しく知りたい方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、
- 横山英太郎とはどんな人物なのか
- 日本初期の無線電話を開発した技術者の功績
について詳しく見ていきましょう。
横山英太郎とはどんな人物?

日本の電気工学の発展に尽力した横山英太郎さん。
そんな横山英太郎さんですが、一体どのような人物だったのでしょうか。
横山英太郎さんは、1883年7月に福井県で生まれ、1966年6月13日に亡くなった日本の電気工学者でした。
横山英太郎さんは1908年に東京帝国大学電気工学科を卒業されました。
卒業後は逓信省電気試験所に勤務し、無線通信技術の研究に従事されたそうです。
逓信省電気試験所は、現在の産業技術総合研究所や情報通信研究機構の前身の一つとなっています。
横山英太郎さんは第4部長を務め、日本の無線通信研究をリードする立場にありました。
1931年に逓信省を退官された後は、日本無線の取締役や国際電気通信の常務、電波物理研究所長などを歴任されています。
さらに、電波行政に関する電波監理審議会委員も務められました。
横山英太郎さんは、1883年に福井県で生まれ、東京帝国大学を卒業後、逓信省で無線通信研究に従事し、退官後も日本の通信産業の発展に尽力された人物でした。
日本初期の無線電話を開発した技術者の功績を解説!

日本の無線通信技術の発展に大きく貢献した横山英太郎さん。
そんな横山英太郎さんですが、具体的にどのような功績を残されたのでしょうか。
横山英太郎さんの最大の功績は、1912年に鳥潟右一さん、北村政治郎さんと共同でTYK式無線電話機を開発したことでした。
TYKは開発者3人の頭文字、鳥潟さんのT、横山さんのY、北村さんのKに由来しています。
当時の無線通信はモールス信号が中心でしたが、TYK式無線電話機は人の声をそのまま送受信できる画期的な装置だったそうです。
この発明により、日本の無線電話技術は大きく前進しました。
1914年には鳥羽、神島、答志島の間で実用化され、日本初期の実用無線電話として高く評価されています。
無線電話機の完成後、横山英太郎さんは約1年半にわたり欧米へ留学し、最先端の無線技術を学ばれました。
1916年には、TYK式無線電話機の研究成果により学士院賞を受賞されています。
これは当時の日本で最高レベルの学術賞の一つでした。
横山英太郎さんの功績は、日本初期の無線電話技術を開発し、日本初の実用的な無線電話サービスの実現に貢献したこと、欧米の先進技術を導入して日本の無線通信研究を発展させたこと、そして日本の通信産業の基盤づくりに尽力されたことでした。
まとめ
横山英太郎さんは、1883年に福井県で生まれ、東京帝国大学を卒業後、逓信省で無線通信研究に従事された電気工学者でした。
横山英太郎さんの功績は、1912年に鳥潟右一さん、北村政治郎さんと共同でTYK式無線電話機を開発し、日本初期の無線電話技術を実用化させたことでした。
これからも横山英太郎さんのご功績を語り継いでいきましょう。
それではありがとうございました。

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