棚橋寅五郎とは何をした人?日本の化学工業を切り開いた功績と生涯を解説!

 日本の化学工業の礎を築いた偉大な先駆者、棚橋寅五郎さん。

そんな棚橋寅五郎さんですが、一体どのような功績を残し、どんな人生を歩まれたのでしょうか。

 明治から昭和にかけて、日本の化学工業がまだ発展途上だった時代に、国内資源を活用した独自の技術開発に挑戦し続けた棚橋寅五郎さん。

その功績は現代の日本の産業にも大きな影響を与えています。

 そこで今回は、

  • 棚橋寅五郎さんとは何をした人なのか
  • 日本の化学工業を切り開いた功績と生涯

について詳しく見ていきましょう。

目次

棚橋寅五郎とは何をした人?

出典 Wikipedia

 日本の化学工業の発展に尽力された棚橋寅五郎さん。

そんな棚橋寅五郎さんですが、具体的にどのような人物だったのでしょうか。

棚橋寅五郎さんは、明治から昭和にかけて活躍した工業化学者であり実業家でした。

 1866年9月4日に新潟県で生まれた棚橋寅五郎さんは、1893年に帝国大学工科大学応用化学科を卒業されました。

大学在学中から、国内で入手できる資源を利用して化学製品を生産することを研究されていたそうです。

 卒業と同じ年の1893年には、東京・麻布で棚橋製薬所を創業されました。

これが後の日本化学工業につながる事業の出発点となったのです。

 棚橋寅五郎さんの初期の代表的な仕事が、海藻を原料としたヨード製造でした。

当時、ヨードは医薬品などに利用される重要な化学物質だったのです。

棚橋寅五郎さんは海藻を原料としてヨードカリを製造する方法を研究し、国産化を進められました。

 この研究をきっかけとして、さらに硝酸カリ、硫酸カリ、塩素酸カリなど、さまざまな化学製品の国産化に取り組んでいかれたのです。

日本の化学工業を切り開いた功績と生涯を解説!

出典 AjiNOMOTO

 日本の化学工業に多大な貢献をされた棚橋寅五郎さん。

そんな棚橋寅五郎さんですが、具体的にどのような功績を残されたのでしょうか。

棚橋寅五郎さんの最大の功績は、国内資源を原料として化学製品を工業的に大量生産する仕組みを作ったことでした。

 特に、塩化カリを電気分解して塩素酸カリを製造する技術などに取り組まれ、日本の電解工業の発展に先鞭をつけられました。

さらに1913年には、リン製造の工業化にも成功されています。

その後、合金鉄、電極カーボン、石灰窒素、リン肥料など、さまざまな分野で国産技術の開発を進められました。

 棚橋寅五郎さんは研究者であるだけでなく、技術を事業化する実業家としても活躍されました。

1907年には二代鈴木三郎助さんらとともに日本化学工業社の設立に関わり、技師長を務められたのです。

興味深いことに、棚橋寅五郎さんは「味の素」の工業化の歴史にも関係されています。

 棚橋寅五郎さんらが関わっていた麻布の工場は、後に鈴木製薬所の工場となり、そこで池田菊苗さんが発見したグルタミン酸ナトリウム、つまり「味の素」の工業生産に向けた試作が行われたのです。

 また、棚橋寅五郎さんは企業経営だけでなく化学知識の普及にも力を入れられました。

1938年には『進み行く我化学工業』を出版し、1951年には『化学工業六十年』を刊行されています。

さらに『化学工業時報』を創刊されるなど、情報発信にも積極的でした。

 1939年には、棚橋寅五郎さんは十大発明家の一人として宮中賜餐の栄誉を受けられました。

電気化学協会の第2代会長も務められ、現在の電気化学会には「技術賞(棚橋賞)」が設けられています。

 棚橋寅五郎さんは1955年12月11日、89歳で亡くなられました。

まとめ

 棚橋寅五郎さんは、明治から昭和にかけて活躍した工業化学者・実業家でした。

 海藻からのヨード製造など、国内資源を活用した化学製品の製造技術を次々と開発され、日本の電気化学工業・化学工業の先駆者として知られています。

日本化学工業の創立に関わり、「味の素」の工業化にも貢献されるなど、その功績は多岐にわたりました。

1939年には十大発明家の一人として宮中賜餐の栄誉を受けられ、1955年に89歳で亡くなられました。

 これからも棚橋寅五郎さんのご功績を語り継いでいきましょう。

 それではありがとうございました。

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